一部で、「アフリカ系の人々を起用してメッセージ動画を届けることは差別的ではないか」という声があります。 しかし、このサービスの本質はそこにありません。
私たちが提供する「世界からのサプライズ動画」は、“日本人にとって驚きと笑いがあるシチュエーション”をサービス化したエンタメ商品です。
なぜ差別的だと思われるのか?
過去の歴史や、メディアにおける黒人や外国人の表象の影響から、「外国人=見世物」と受け取られることがあります。
とくにアフリカ系の出演者が明るくダンスや演技をすることに対して、“日本人が笑って消費する構造”=搾取では?と感じる方もいるでしょう。
当サービスの実態と方針
- 出演者はすべてビジネスパートナーであり、契約の上で出演
- 報酬は適切に支払われ、出演は自発的な仕事として行われている
- メッセージは事前に内容をチェックし、政治的・暴力的・性的な内容は一切依頼しない
- 出演者は日本語の詳細な意味はわからなくても「お祝い」「感謝」といった趣旨は理解している
つまり、これは明確な同意と対価のあるビジネスであり、 差別的な構造や搾取の関係は存在しません。
なぜ日本人は面白いと感じるのか?
それは、日本人にとって日常生活の中で「アフリカの人々が日本語で自分の名前を呼んでくれる」という体験がほぼないからです。
その意外性と非日常性に、サプライズとしての価値を感じ、驚きや笑いが生まれます。 これは「他者を見下す」ためではなく、“自分に向けられた特別感”があるからこそ嬉しいのです。
出演者は対価を得てサービス提供者として参加しています
動画に出演する人々は、サービスの提供者であり、報酬を受け取る対等なパートナーです。 日本のクライアントが求めるフォーマットに沿って仕事をし、対価を得るという点で、商業的に成立したサービスにすぎません。
これは、例えば英語でバースデーソングを歌うサービスや、コスプレで祝うサービスと何ら変わりません。
差別とは「侮辱・排除・搾取」の意図があるかどうか
このサービスには、人種差別的な侮蔑や不平等な構造は存在しません。 撮影者・出演者は自らの意志で活動し、合意のもと提供されています。
また、日本人側も「外国の人がこんなことをしてくれるなんてすごい!」という驚きと感謝を感じており、そこに侮辱や悪意はありません。
サービスの本質は「意外性」と「個別性」
この動画は、「世界中の誰かが自分の名前を呼んでくれる」という非日常体験に価値を見出した商品です。 面白さや感動は、国籍や肌の色ではなく、“距離感”と“演出”によって生まれているのです。
あくまでこれは、演出された“映像表現”のひとつであり、 利用者の多くは動画を通じて笑顔や涙、驚きを得て満足されています。
私たちは今後も、出演者との信頼関係を守りながら、 正当な商業サービスとしてこの形を提供し続けます。